東京タワーとは

東京タワーの概要


この塔の正式名称は建築主に因み「日本電波塔」である。 * 1:特別展望台 * 2:大展望台 * A:広域アナログテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局、放送大学) * B:広域デジタルテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局) * C:都域テレビ放送アンテナ(TOKYO MX、アナログ・デジタル共用) * D:VHFデジタル音声放送アンテナ * E:FM放送アンテナ * F:マイクロ波中継設備アンテナ

東京タワーの歴史


* 1957年(昭和32年) o 5月8日 - 管理会社となる日本電波塔株式会社を創立。 o 6月29日 - 地鎮祭が執り行われ着工。元々この土地は墓地であった。 o 9月21日 - 塔脚第一柱を設置し、定礎式を挙行。 * 1958年(昭和33年) o 10月9日 - 審査会において愛称「東京タワー」を決定。 o 10月14日 - アンテナ(80m)を取り付けて竣工。 o 12月7日 - 公開開始(プレオープン)。 o 12月23日 - 完工式挙行、正式オープン。 * 1959年(昭和34年) o 1月10日 - NHK教育テレビジョンがVHF1chで放送開始(同年4月にNHK総合テレビジョンと入れ替わる)。 o 2月1日 - 日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)がVHF10chで本放送開始。 o 3月1日 - フジテレビジョンがVHF8chで本放送開始。 o 9月20日 - 南極観測隊カラフト犬の記念像の除幕式を挙行。 * 1960年(昭和35年)1月17日 - ラジオ東京(現在のTBSテレビ)が赤坂の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF6ch)。 * 1964年(昭和39年)4月12日 - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現在のテレビ東京)がVHF12chで本放送開始。 * 1966年(昭和41年)1月2日 - 来塔者数が3000万人となる。 * 1967年(昭和42年)7月28日 - 特別展望台オープン。 * 1970年(昭和45年) o 3月20日 - 東京タワー蝋人形館オープン。 o 4月26日 - FM東海から事業を譲り受けたエフエム東京が80.0MHzで本放送開始。 o 11月10日 - 日本テレビ放送網が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。 * 1971年(昭和46年)8月18日 - 来塔者数が5000万人となる。 * 1977年(昭和52年)7月11日 - タワー大神宮創建。(23区内で最も高い場所にある神社) * 1978年(昭和53年)4月 - 東京タワー水族館開館。(世界初の観賞魚水族館) * 1980年(昭和55年) - NHK教育の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。これにより東京都のテレビ局の送信所が一本化される。 * 1984年(昭和59年)11月1日 - 放送大学学園が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで試験放送開始。 * 1986年(昭和61年) - 黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。 * 1988年(昭和63年)10月1日 - エフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が81.3MHzで本放送を開始。 * 1989年(昭和64年/平成元年)1月1日 - ライトアップ開始。 * 1995年(平成7年)11月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョンが東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。 * 1996年(平成8年) o 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。 o 4月1日 - エフエムインターウェーブが76.1MHzで本放送開始。 * 2002年(平成14年)3月19日 - 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。 * 2003年(平成15年) o 10月10日 - デジタルラジオ推進協会が地上デジタル音声放送の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。 o 12月1日 - 放送大学以外のテレビ局が地上デジタルテレビジョン放送をUHF帯域で開始。 * 2005年(平成17年)3月 - タワービルをリニューアルオープン。(名称を「フットタウン」に変更、外壁色は茶系に変更。) * 2006年(平成18年) o 9月29日 - 来塔者数が1億5000万人となる。 o 12月1日 - 放送大学が地上デジタルテレビジョン放送をUHF帯域で開始。 * 2009年(平成21年)5月8日 - 新ロゴを発表、使用開始。 構想 放送事業の将来性に着目した前田久吉[1]と鹿内信隆[2]によって計画された。当時、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想であった[3]。 建設場所 当初は上野公園付近への建設も検討されたが地下にある東京礫層地盤に基礎を打ち込むため、より浅い所にこの地盤がある現地域に決定した。 設計 この塔の建設に先立ち日本電波塔株式会社が設立され、建築設計の構造学を専門とする学者の内藤多仲と日建設計株式会社が共同で塔の設計を行う。塔はフランス・パリのエッフェル塔の312m(現在は324m)より21m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張した。そもそも本来東京全域に電波を送るには380mの高さを必要とされていたが風の影響でアンテナが揺れ画像が乱れる可能性があったため、影響を受けないぎりぎりの寸法として全高333mと「3」が続く語呂合わせのような高さになった。当初は最上部で風速90m、下部で風速60mの強風と大地震(同タワーの耐震設計で考慮された水平震度は0.99Gで、関東大震災時に小田原付近で推定された加速度の約2倍に相当)に遭遇しても安全な様に構造設計がなされた。 建設 1957年(昭和32年)6月29日に増上寺の墓地を一部取り壊して建設が開始された。7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まった。 建設中の1958年(昭和33年)6月30日に昇っていた鳶職1人が強風に煽られて転落死し、この塔の麓にある増上寺で葬儀を行った。 多くの現場鳶職人の作業により、着工からわずか1年3か月後の1958年(昭和33年)12月23日に完成した。その後、特別展望台の真上にこの塔の建設に携わった人々の銘板が据えられた。 結果的に約4.2kt(4200t相当)の鋼材が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われている。これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが高かったからである[4]。 また当初は地上約66m付近にビアレストランを設置する計画だったが結局、実現される事はなかった。 名称 「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,260通の応募が寄せられた。一番多かった名称は「昭和塔」で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時アメリカとソ連が人工衛星の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王(今上天皇)の成婚が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。しかし名称の査会に参加した徳川夢声が「ピタリと表しているのは「東京タワー」を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果10月9日に「東京タワー」に決定した。なお、「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%)だった。 電波塔集約 この塔の完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・ラジオ東京テレビ(TBS、現在のTBSテレビ)はそれぞれ自局の敷地(NHK:紀尾井町、日本テレビ:麹町、TBS:赤坂)に170m程の電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。そのため当初は1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて新たに開局したフジテレビジョン(CX、以下「フジテレビ」と表記)・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)・NHK教育テレビジョンが利用していた(NHKは直後総合と教育を交換)。後にTBSも合流した。 当初はNHKと民放6局のアンテナを一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う産経新聞)フジテレビ・前田久吉と(読売新聞中興の祖であり)日本テレビ創設者・正力松太郎との対立といわれる。この塔の完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿(現在の東新宿駅付近)にこの塔の2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して発表するが、莫大な建設費用が掛かることからその計画は頓挫した。同社は正力没後の翌1970年(昭和45年)になって麹町の本社からこの塔へメインアンテナを移転することになった。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している。 全放送局がこの塔に揃ったのは、NHKが教育テレビ送信所を移した1980年(昭和55年)である。 地上デジタル放送開始 地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原地区などから誘致提案が出された。しかし、サービスエリアや航空路との関係などの面でいずれも決定的ではなく2003年(平成15年)12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来たこの塔の施設を拡張する形で設置されることになった。このため大展望台の直下、地上135〜145mの高さに送信設備室を増築し特別展望台の上の塔体最上部に直径13m、高さ11mの筒型のアンテナを設置した。


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